2012年05月15日

うれしかったこと

やさしくて、あったかい人が、傷ついて脱落してゆくような社会じゃダメだ。
少なくとも、僕はそんな世界なんて大っ嫌いだ。

もう、我が我がと、声の大きい人ばかりが生き残るような時代じゃない。
そんなサバイバルの時代は、もう終わった。

ざっとそんなふうなことを、会社で一番仲のいい先輩と話した。

こんなふうな話を、なにげなくできる相手、そして、強く共感してくれる相手に、初めて出会った。
それが、すごく嬉しかった。
嬉しくて、思わず泣きそうになるほどだった。

そんなふうなことを話したからといって、なにがどう変わるわけじゃない。
だけど、少なくとも、僕らはそういう想いで生きている。
その生き方そのものが、なにかを変えるのだと信じて。

そのことを、あらためて確信できた。
うれしかった。
posted by 泣き黒子 at 20:25| 福岡 曇り| 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

ほんとだぜ

最近、しみじみと感じたこと。

なにごとも、ピンと来る(引っ掛かる)ものがあったら、そこには間違いなく「なにか」がある。
その「なにか」がなんなのかは、その時点では、まだ分からないかもしれない。
でも、そこに自分にとって大切な「なにか」があるのは、まず間違いない。

だから、その「なにか」がなんなのかを確かめるために行動を起こす。
その結果、なにも見つからないかもしれない。
けれど、行動を起こしたことで、今度はまた別の「なにか」が見つかったりする。

そうやって、ひとつひとつの行動が繋がっていき、自然と答えのあるところに導かれていく。
少しずつ加速しながら、答えの輪郭が明らかになってくる。
それは、絵を描いたり、彫像を彫ったりする過程と同じだ。

なにか「ピンと来る」ということは、自分の魂(心)が語りかけてくれている合図でもある。

本当に大切なことは、言葉では表現できない。
だから、ピンと来た「なにか」も、それがなんなのかは、うまく言葉にできないかもしれない。
でも、そこには必ず、なにか大切なものが詰まっている。

そのことを信じてあげなきゃいけない。
それこそが自分を信じるってこと。

他人の言葉に振り回されちゃいけない。
他人が語る言葉は、その人にとっての真実であり、自分の真実ではない。

自分の心の声に耳を傾けよう。
そして、自分の心の声が語りかけることに素直に従おう。
そうすれば、自分の行きたい場所に、自然と導かれていく。

自分の心が自分をナビゲートしてくれる。
目標地点を設定する必要すらない。
ただただ、自分の心の赴くままに任せるだけでいい。

人生でやるべきことがあるとすれば、それだけだ。
人生というゲームのメインルートは、そうやって形作られていく。
あとのことは、サブイベント(おまけ)みたいなもの。

ほんとだぜ。
posted by 泣き黒子 at 20:37| 福岡 | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

ためる

僕は、物事を比較的ハッキリ言うタイプの人から、「言いたいことがあったら、ハッキリ言った方がいいよ」とか、「何を考えているのか分からない」とか、そんなふうなことを言われたりすることがある。

今までは、なぜそんなふうに言われるのか、よく分かっていなかったけれど、ふと、その理由がなんとなく分かった気がした。

それは、僕が結局はどんなことも受け入れてしまう人間だからなのかもしれない。

たとえば、熱いお茶を出された時に、「熱い(熱いから冷まして欲しい)」などと言えば、相手は、「この人は熱いのが苦手なんだなぁ」というのが分かる。

けれど、僕の場合は、熱いなら熱いで、冷たいなら冷たいで、それはそういうものとして黙って受け入れた上で、こそっと、自分で冷ますなり、温めるなりして調節しちゃったりする。

だから、相手からすれば、僕は一体、熱いのが好きなのか、冷たいのが好きなのか、よく分からんということになる。
そのくせ、「そのへんは言わなくても察して欲しい」なんて、めめしいことを思ったりもするものだから、余計にタチの悪いものとなる。

とまぁ、そういうふうに考えると、物事を「受け入れる」ということと「溜め込む」ということは、紙一重なのかもしれないなぁ。

まぁ、僕はそういう自分が嫌いじゃないし、むしろ、ちょっと気に入ってたりするけど、たまに面倒くさくもなる。
posted by 泣き黒子 at 01:14| 福岡 晴れ| 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする